昭和50年08月18日 朝の御理解
御理解 第100節
「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。」
子孫繁盛家繁盛の道、どう云う様な事であろうか。どういう道を家繁盛子孫繁盛の道と言うておられるのだろうかと。言うならば、御神徳を頂く道。又は天地と交流の出来る道、いわゆる、天地の大道と云う事。天地と繋がる事の出来れる道。そう云う事だと思います。子孫繁盛家繁盛の道。教祖様は、此方は天地に、まぁ天に一貫したというかね。いわゆる親類が出来た。
親戚が出来たと云う様な事を言っておられますね。だからまぁ降る照るの事まで、まぁ自由にして下さると言う訳であります。降る照る所ではありません。言うならば天地との繋がりが、親類づきあいが出来る様にならせて頂くというのであるから。御教えには矢張り、天地の親神様私共はその氏子。言うならば子供だと天地の子だとこう言う。だから本当に親様が言うなら、親だ子だとこう名乗り合えれる所まで信心を勧める。
こちらだけが親と思っとったって、親神様が子供としての取り扱いをして下さらなければ。こちらは親戚と思うとったっちゃ、神様が他人扱いをなさるならどうにもならん。例えて申しますとこの教典の全てが、私は御神徳を受けさせて下さる一つの手掛かりを、説き明かしてあると思います。そこで御教を頂き行じさせて頂いて、段々分からせて頂く事は。我情があってはいけない、我欲があってはいけない。おかげは和賀心にありと仰せられるのだから、その和らぎ喜ぶ心を。
愈々頂いていくその様な精進させて貰う。これは私は第一我情我欲を取ったら。和賀心が自ずと頂けて来る様になるものと思いますね。我情というのは自分の思い。場合にはその思いの中に、得て勝手な思いをしておるならば。愈々我情となる。我欲というのはいうならば、貧欲の事を言っておられる。ただの欲は例えて食欲でいうならば、食べた上にも食べんならんというのが我欲。その我情我欲を捨てると言う所に精進する。それにはどう云う様な生き方が一番素晴らしいかと。
三代金光様は御歳僅か十三歳というお歳で、親様の仰せだからとそれをそれこそかしこみかしこみ受けられた。日々のそのご神勤が始めの間は辛うて、辛うてよう泣きましたと。れども親様が座っておれば楽じゃと教えて下さったから、座っておれば楽になるまでの、信心辛抱をなさった訳です。それこそ泣く泣く辛抱しいしいに辛抱しておりましたら、第一、欲しいものが無くなったと仰るのです。思う事すらも無くなったと言うておられます。そして有難うして、有難うしてという境地が開かれた。
そして何ぼお礼を申しても、お礼を申しても足りませんのじゃという。それでいてもう人間ギリギリの修行をなさりながらもです。まぁだお礼が足らん、喜びが足らんとして、お詫びばかりを申しておられると云う様な境地がお開けになる。もうまさしく我情我欲を徹底して根絶された。我情我欲でいっぱいの私共の心の中から、何時の間にか取り除かれた。何時の間にかと言う所が、惟はだから金光様だけではない、誰でもそういう真似をすれば、おかげが頂けると云う事が分かる。
どういう真似かというと。矢張り三代様のご体験から教えておられます様に、信心には、辛抱する事が一番大切で御座います。場合にはそれが泣く泣くという時もありましょう。けども辛抱しいしいに、その辛抱し抜いて行く内にです、思う事もと言う事は、我情です。有難い有難いあそこに行きたいと云った様なものを。が無くなったと仰っておられます。勿論我欲である。自分の思いが我情ならその欲が我欲。その欲も何時の間にか無くなったと、思う事も不思議と。
思う事も欲しいものも無くなったと言われておる。そう言う所に、天地はもう限りなく、恵みに恵まれる働きが生まれてくる。そのお恵みに浴される。その事を有難うて有難うてと言う事ではなかろうか。勿体ない本当に信心も出来んのにという、いうならば最後の所の、お詫びばかりを致しておりますと言う事は、そう言う事じゃなかろうか。信心も出来ませんのに、此の様なおかげを頂いて。
信心が出来なさらん所じゃない。そういう十三の年から言うなら七十年間も、お座り抜きなさる様なご修行をなさって、尚且つお詫びの足りない事を。お礼の足りないお詫びばかりを致しておりますとこう言う事なんです。そこで人間凡夫私共がです、そういう信心を頂く手立てとしてね。私はこう言う事を思うた。昨夜合楽会が丁度十二時半まででした。まぁ本当に有難い大和さんのお話を聞きましたが、素晴らしいお話でした。今度の御大祭に何時も東の溝の、溝さらえが今度はそれが出来なかった。
それで草刈機を持って来て、あの川筋の芝だけでも刈ろうと言うので、刈り始めなさったところが、機械に故障が出来た。そこではぁこら神様が、もう手ずからせないけんとだろうと思うてそれからあの、一日掛りあそこをさせて頂いた 沢山来とりますから、若い人達、「あんた達も、こっちば手伝うてくれんの」と言うて、いうなら、どしなげきの様な心が起こらんじゃないけれども、待て待てこり、自分が一人でさせて頂こう。誰も手伝わんから一人でなさった。
もう終わった時の有難さというものは、例えばどしのえきでしておる様な御用とは全然。違った有難さを感じたとこう言われる。そして翌日の御大祭を頂いて、初めてあの様な感動を頂いたと、こう自分で言っておられます。第一親先生が本当に神様に拝めたと言われる。もう御大祭のあいだ中が、もう有難うして有難うしてと云う事であった。そして御用というものはです。確かに一人ひそかにさせて頂くような御用がね、素晴らしいと言う事を体験したという意味の話をされました。
又あちらの話を聞くと、実感のこもった素晴らしいお話でした。信心の稽古をさせて頂いておるとね、いうならば御用と云う事は、させて貰わなければおられない。あれがするけん、私もするじゃない。いっちょあんたと二人でしようじゃんのと言う事でも無い。そういう私は、信心の稽古が要ると思うですね。昨日北野の秋山さんが、ここでお届けをされました。昨日一昨日の御理解に。
神の機感にかのうた氏子が少ないというあの御理解でした。もうそれこそ何十年の間に、この御理解を何十辺頂いたか分からない。しかもあらゆる角度から頂いたけれども、昨日昨日の言葉で昨日の朝の御理解ほどです。本気で神の機感に叶う信心をさせて貰わなければいけないと言う事を感じたと。そして昨日の朝の御理解を頂いてもう、愈々益々、その思いを強うさせて頂きましたと言うたら、自分で泣き出しておられる、ボロボロ涙流してから。如何にね、神の機感に叶うた氏子にお取立て下さいと。
そして昨日頂きましたように、それこそ水も漏らさん様なおかげの受け物を作る為にはと言った様な御理解を、昨日頂いてです。愈々もってどうぞ今日も神の機感に叶うた、神様の心に叶うた信心生活をさせて下さいと言う祈りを、本気でさせて頂く様になったら、秋山かずえが泣き出したじゃなくて、それこそ天地の親神様が泣き出して御座ると私は思うた。なら神の機感にほんなら叶う信心とは、大和さんの大祭前のその御用のあり方やら。本気で神様の機感に叶う信心とはとそこを追求して行く事なんだ。
それを追求して行くと第一我情をとらにゃいけない、我欲をとらなければいけないと言ったような事に直面するでしょうけれども。もう本気で機感に叶う信心が頂きたいという願いが、止むにやまれなくなって来るのですから。その修行が又有難く出来て来る様になるのです。昨夜そのような合楽会の研修を終わって、部屋に下がりましたのがもう一時でした。それから休ませて頂いて、さぁ三十分ぐらいした時でした。夫婦その方の兄弟、言うならば三人で、夜中にお参りに来た人があった。
まぁそれからまた、起き直って話を聞かせて頂ましたら。もう本当に世の中には、此の様にも難儀が、本当にあるだろうかと言う事を感じました。満ち溢れておる話を聞きながら。ようもない夜中も無い、親先生達はもう休んであろうばってん。とにかく聞いて貰わなければ、または教えを頂かなければ、もうそれこそにっちもさっちもいかん程の所に直面しておる。ほんならこんなに遅うからだけれども、なら私共夫婦が着いて行こうというて、兄弟の方を連れて来た。
話を聞くと成程苦しかろうと思うた。けれども私から見ると、なんでもない苦しくない事なんです。なんでもない事なんだ。けどもその方にとっては、死ぬか生きるかち言う程に苦しい事なんである。それで又そうですか小一時間も、色々とお話を聞かせて貰またさせて貰うた。本当にこんなに遅うからでしたけれども、もう昨日お伺いして良かった。お参りして良かったというて、まぁどの程度スッキリしたかは知らんけれども。まぁとにかく、有難い有難いで帰られた。
それから休ませて頂いたけれども、その事を思うたら眠れなかった。こういうあれは支那の言葉に、言葉がありますね。「小人閑居すれば不善をなす」という言葉があります。まぁいっちょ違うかもしれませんが、そういう言葉です。それはどう言う事かというとね。凡夫。凡夫は暇が出来ると。決して良い事をしないと言う事です。今日は暇じゃけんでもう、今日はもう寝て込まそうと。
今日は暇じゃけんでどっか、映画なっと見げ行こうと。今日は暇だからいっちょ心磨きにでも教会にでも参ろうち言うごたるとは、非常に少ない。小人は言わば閑居すると、不善をなすと言う事をです申しますが、その事をしきりに昨日、私は寝ながら思うた。私等も本当に過去の事を思うたら、もう小人もう本当に本当に取り得もない凡夫であった。しかも我情我欲の強い凡夫であった。
今においても然り。ですからもし私に信心がなかったらです。私が少しほんならお金でも出来たらもう必ず、不善をなしたに違いはない。所が信心ちゃ有難い。私共の修行の時分にもうそれこそ熱心に、もう本当にあげん金光様ば拝まにゃんじゃろかと云う位に拝みもした、お参りもした修行もさせて頂いたけれども、おかげにならなかった。成る所ではない、もう次々と不幸な事が続いた。
半年の間に、三人の兄弟の葬式をしなければならん様な事が続いた。それだけではない。もう命の綱とまで思うておる程しの、酒屋という商売を止めなければならんという羽目にもなった。その間でした。言うならば踏んだりけったりち言う様な状態でしたけれども。おかげを頂いてその都度都度に、私の信心はもう愈々燃えて行った。そしてそのいうなら、燃える様な信心をさせて頂いたけれども、おかげは頂けなかった。もう北京から引き揚げて来ましたから、惟は直ぐ始めた事でしたけれども。
お粥も毎日のお粥さんを日にいち碗だけ頂いた。惟にはね私だけの修行じゃない、もう家族中のものがでしたけれども。昨日母の三十日祭でした。二十日祭を西岡先生が、三十日祭を末永先生が祭主をしてくれました。もう本当にもうそのお婆ちゃんと一緒に生活しておったからですからその祝詞そのものがもう、実感そのままなんです。告別式の時は、泣かじゃってから、二十日祭と三十日祭にはもう泣けて仕様がなかった。その昨日のお祝詞の中にです。
末永先生が今のそのお粥食の事を書いてあった。私が福岡におりましたから、何時帰ってくるか分からない。その時分なもうお金は無いですから、あの電車から電車でしたから、大城の宮の陣から乗り換えて、電車でそして大城からこちらへ歩いて来るです。夜中森閑になりますともう、大城の通っておる電車の音が椛目から聞こえます。最終の電車が通った音を聞かなければ、母はその一碗のお粥を食べなかったと云う事です。私が帰って来た時に、食べささんならん。
どうしてこがしこ食べ物の少ない時に、私が帰った時に必ずそのどんぶり一杯お粥がとってあるのが、不思議で不思議でたまらなかったんです。私は知らなかったんです。ところが総一郎がひょっとして帰って来た時に、食べ物もないでは出来んもんですから。皆んなは夕食は食べさせて、自分だけはその最終の電車の音を聞かなければ。そして何分すりゃここへ帰って来ると云う事は、計らなければ食べなかったと云う事を書いておった祝詞の中へ。本当に自分が一人で信心して修行してから。
今日のおかげを頂いておるてんなんてん、それこそ夢思われません。もう家族中が勿論、挙げて信心に協力してくれた。言うならば家族中が、勢を揃えて信心をさせて頂いたと言う事をね。昨日又改めて感じましたよ。その時分に私は箇条書きに、ずうっと。おかげを頂かせて頂く為には、どうでもというので、第一もう一生風呂にども、絶対入らない事を神様に誓った。勿論朝晩水行しておりましたから。第一ねもう自分で求めてものを買うと言う事を致しません。
米一粒でも買いません。布一寸も買いません。下駄一足買いません。おかげで布一寸買いません、下駄一足買いません。も矢張り今に続いております。勿論お米など、買うげなことも、勿論ありません。お風呂だけは神様がね、それこそ風呂桶のお供え、石鹸のお供え、タオルのお供えがどんどん来るけん、おかしなこっじゃあると思うたら、最後には風呂桶のお供えが来た。
それを神様にお供えさせて頂いたら、今日から風呂に入る事を頂いた。まようあげな、ほんにその、自分でもまぁだ箇条書きに色々。好きな三味線も握りません。小唄一つでも歌いません。もう絶対にこら神様から頂いておりましたが、読み物を読みませんと言う事でした。壁に例えば田舎なんか壁に新聞紙が貼ってあるでしょう。壁紙代わりに。そげんとでも見ると、神様はこうお気付けを頂きよりました。もうこれは御道の本も、だから読みませんでした。
今から考えて見て、だから御道の本などでも本当言うたら読まんが良いです。 合楽に本当にご神縁を頂いておる人達は、もう合楽でこれだけの御理解を頂いておるのだからもう、御理解一本が一番いいです。勿論新聞も雑誌なんかも、全然読まなかった時代がありました。これはしかし、十年ぐらい続いたでしょうか。如何にもこれが、ほんなごつのごと書いてあるとを読むとですよ。それがほんなごつのごと、迷うて来る訳ですよ。ほんなこっじゃないです。
中途半端な事ばっかりしか書いてないですから、もう御道の本なら良かろうち言うこつは、絶対ないです。まぁだほんなならいうならばです、まぁ色々な箇条書きにさせて頂いた修行を、今から考えますと。今現在の合楽では、いわゆる表行と言う事を絶対に致しません、水行一つしません。いやもうしてはならんと、今私が硬く皆さんにも、言うておる通りなんですけれども。
もうとにかく、おかげを受けなければね。その様にして行ったけれども、矢張りおかげ頂かなかった。その中で今思わせて頂きますとです。どれがおかげの決め手であったかというと。どう言う様な事が、私の前に起きて参りましても。それを修行と思うて、合掌して受けますと言う、この修行がもう、私がおかげを頂く決め手のようであった。それが、五年後には、成り行きを尊ぶとか、成り行きを大切にするとかと云う事になったんです。また、それから数年後には。
全ての事に御の字を付けて、御事柄として受けると云う事になったんです。これが私がおかげを受けておる、受けたいうならば修行で受けたというなら、この修行によって私はおかげを受けたように思うです。そこでです小人閑居して不善をなすというが。もうこの男になら、どれだけのおかげ をやっても大丈夫と言う事を神様が、見て下さったんだとこう思うんですね。小人閑居すればと言う所をです。小人少し儲け出すと必ず贅沢をするというても良いです。
これはもう凡夫です。小人です少し金繰りが良くなると、直ぐ着物が良くなる。直ぐ建築しようとする。それこそ神様の与えられるものでなからなければ、頂かんと言った様な修行をさせて頂くならばです。そんならもうなぁにも買われん、なぁにも食べられんち言う事じゃない。神様が与えて下さるものが段々、段々ほんなら着物だけでもです衣類なら衣類でも、始めの間は木綿もんから、銘仙もんから錦糸類がと言う風に集まって来るです。神様が食べささにゃおかん着ささにゃおかん。
それこそ私共がその時分の修行の中に。それこそ掘っ立て小屋の様な小屋の中に住まわせて頂いておりました。もうこれ以上の良い家に入ろうてんなんてんな思いませんでした。これも神様から。ところが神様がですこうして、だんだんおかげを頂いて、人がいうなら、本当に、合楽の教会はそれこそ御殿のごたるとか、お城のごたるとかと言うて下さる様な中に、住まわせて頂く様なおかげを頂いて来ておる。住まわせにゃおかんと言う働きが始まったんです。
着せにゃおかんと言う働きが始まったんです。これは私と家内が、そういう修行をさせて頂きました。だからこれにはもう、どれだけの億万の金を、例えば与えても、無駄遣いどんする様な事がないと極められたところからです。おかげが頂けたと思います。だから皆さん、本当におかげを頂く。今日の御理解で言うなら、いよいよ金光大神は、子孫繁盛家繁盛の道を教えると。
ほんならその道とはどういう道かと。勿論天地に繋がる大道である。又は我情我欲を外させて頂く事によって、神様と親戚付合いが出来る様な道が開けて来る。そこでその我情我欲を取る。それは金光様は泣く泣く辛抱しいしいに辛抱なさっていっておる内に、思う事も欲しいものも無くなったと仰っておられるけれども。私共じゃそういう事出来んから、ひとつこちらのほうから小人閑居した時に、不善をなさんで済む様にです。神様に不善をなさないという約束をするんだ。
例えば、私がです。さぁ気分良うなって、晩酌どんが出来るごつなったら、さぁ三味線持って来い。小唄の一つも歌おうかと言った様な事はもう、しませんとこう決めたんです。もう、神様にお供えしてしもうた。まぁ年に何回かぐらい、三味線握る事があります。これはお供えしたものを、神様が下げて下さる様な感じが致します。自分が求めて弾きたいとも、歌いたいとも思わない。いうならば好きで稽古したもんなんです。けれども好きなものが変わってきた。
すり替えられて来た。皆さんが本当にいうなら。私共が頂いた事でもない、子孫繁盛家繁盛のおかげを頂たいならばです。私共は矢張り凡夫なんです。小人なんです。ですから、これはもう、確かに金を持たすりゃ、あそこにも行きたい。あれも食べたい。あげな着物を着たいというのが、まぁ着物だけじゃない、もう宝石の一つも買いたいと言う事になって来る訳です。けどもそういう物はだから初めから、もう買いませんと言う風なね。神様のお許しを頂かなければ作りません。
此の位な本気での神様への約束が出来て。そして神様がもう、この氏子は大丈夫と言う事に極めなさったところから、頂けるおかげが、私は子孫繁盛家繁盛のおかげだと思います。だから、今日皆さんに聞いていただいたのは、金光大神が教えて下さる、子孫繁盛家繁盛の道の言わば内容または、そういう道に出る為には、こういう生き方と云う事を、言わば聞いて頂いた。ほらもう本当にですそれこそ私の家内は、昔から指輪嫌いでした。けれどもこの頃からこの大祭の時に、あの黒衣に白い帯をしてましたが。
これはもうそれこそ日本で名人という人が、白い帯に絵を描いて、私の家内の為にお供えして下さったんです、あの帯は。ここにあのこう帯止めをしておりましたのは、あれは、ヒスイでした。それがもう半額値で良かけんでと言われたから、買いましたという人がお供えしとります。そん時が確か十五万だったです。言うならば三十万のあれは帯止めです。そん時にどれをしたが良かろうかと言って色々こうやって、「ほうお前ばさらか持っとるね」と私が言う位にです。
もうそれこそあらゆる宝石の指輪を頂いております。だぁれんくれとも言わなきゃ望まん。むしろ指輪てんなんてん、はむるとは好かん彼女に神様は、そういうおかげを下さってるんです。だからね、身に余る贅沢をしてはいけんと言う事。身に付いて来るのなら、天地の親神様が、何十万の例えばほんならヒスイでもです、人間氏子の為に作って下さる。どういう山海の珍味であっても、人間が有難く嬉しゅう頂いてくれる事こそ、神様が喜んで下さるのである。
だから自分から手を出す様な、自分から求めて。おかげを頂いてから、私も大体、出好きですけれども、もうどうこにも行こうとは思いません。年に二回、菊栄会の方達が信心実習で、あそこの温泉ここの何、名所という様な所にまぁ連れて行って下さいますから。けれども自分からいっちょ、何処にでも行ってみろかち言う思いは起こらんです。おかげを頂いて約束しておるから神様に。だから頑張っとるじゃなくてもう、そういうものが要らなくなったんです。
言うならばささやかな、私がこのおかげの手本というものを、皆さんに示したり、ま他は聞いて貰うたり。私はこういう信心で、こういうおかげを頂いたと、皆さんに聞いて頂いておるのだから、その真似をせにゃいかんです。今度おかげ頂いたなら、いっちょどこに行こうかと。海外旅行でもしたい。もうとにかくそのために一生懸命お願いしよるごたる感じです。もうちょこっとばっかり金を小人、少しばっかりの金を握ると、直ぐ無駄遣いをするというても良いです。
だからそういう小人ですお互いが。小人だから信心させて頂いておる者がです。その生きた神様にね、それを約束するんです。そすと小人でも不善をなさんで済むでしょうが。不善を致しませんという約束をしとくんです。それこそめでためでたの若松様よと言うおかげになって来るです。そこでほんなら大和さんの話を聞いて貰うた、秋山さんの話を聞いて貰うたがです。
同じ例えば、御用でもさせて頂くならば、本当にその後に喜びが沸く様な御用じゃなからなきゃほんな御用じゃないて。秋山さんじゃないけれども、何十年間頂いて来た、神の機感に叶うたと云う事をです本気で、本気で神の機感に叶う今日一日でありたいという願いをさせて頂かんなラン事が、何十年振りに分かったと。分かっただけで神様が感涙を催してられるじゃないですか。
そこでほんなら機感に叶う生き方とは、と言う所に信心の言わば追求があり教えも又一段と頂く頂く姿勢が変わった来るんです。人間の言うならば幸福の条件の全てがね足ろうて来る。そういうおかげを私は天地に親戚を持った人のおかげ、又は天地に子孫繁盛の道を教えると仰る、金光大神が教えて下さる道を、本当に習うてその道を歩いておる人の姿であると言う風に思うです。
どうぞひとつ、本当にめでためでたと言われる様な、しかも子にも孫にも伝わって行く様な信心をさせて頂かなければならない。それをいうならば、見やすう出ける様な道をね、ほんなら私共が、今から何十年前の修行中の事を思うてです。あれも飲みませんこれも食べません。こうもしません、ああもしませんという事が、大変難しい事であったかというともう有難うして、有難うして応えんな修行しとるとですからね、その時点で。ほんに神様にお粥一碗しか食べられんけんで。
食べんち言うて約束しとるから、食べたいばってんからち言うちから、喉からよだれん出るごたる事は一遍も無かったです。それが有難かったです。どんなにデパート昔はデパートやら廻った金はなかったっちゃ、はぁあげんとをいっちょ買うたならば、あれがいっちょ欲しいなと思いよりました。けれどもどげなデパートに行って、どげな良いものがあってもです。ほんにあれいっちょ買いたいなと思うた事がありません。くらいにおかげを頂いておるです。我情が無くなった我欲が、言わば影を潜めてしもうた。
それもいうならば、そうした信心辛抱させて頂く内に、小人であると言う自覚、凡夫であるところの自覚が出来たところからです。凡夫は何時どげな事でおかげを落とす様な事があっちゃならんと思うから、神様にそこに誓約をしておる約束をしとる。そうしなければ、凡夫ですからおかげ頂かれんです。どうぞ一つそう言う所をね。皆さんの信心生活の中にね、頂かれる事が、そのまま金光大神が教えた事になり、金光大神は、家繁盛子孫繁盛の道を教えるのじゃと仰る、その道を習うた事になるので御座います。
どうぞ。